ワインコンサルタント&ソムリエの広瀬勇二です。
数多のお酒の中でも、ウイスキーと並び最も高価な価値がつくお酒と言えるワイン。
様々な高額ワイン、シャンパンもありますが、名前だけは聞いたことがあるという有名なものでも、実際にはどれくらいの価格なのか?オークションなどでは一体どれくらいの金額になったことがあるのか?またどういう理由でそこまで値が跳ね上がったのか?など、ワインラバーでなくとも知り得る情報があれば豆知識としても知っておきたいところ。
今回は、皆様も一度は聞いたことがあるであろう高額ワインの過去のオークション落札額なども紐解きながら、世界でも話題となった高額ワインについてお伝えしていきたいと思います。
というわけで今回のテーマは、「世界一値段が高価なワインの生産地はどこ!?ロマネコンティのオークション最高額は?」です。
Contents
「ユニコーンワイン」と呼ばれる幻のワイン「ロマネコンティ 1945年物」オークションの最高額は?
皆様も一度はこのワインを耳にしたことがあるであろうか。フランスが誇る世界最高峰のブルゴーニュワイン「Romanée-Conti(ロマネコンティ)」。
お調べいただければ、このロマネコンティが高額な理由は山ほど出てきますが、その中でもかつてオークションにて55万8千ドル(日本円で約6000万円)もの高額な値がつき、1本の金額としては史上最高額となったのがこのロマネコンティの1945年物です。
ロマネコンティ1945年物は「ユニコーンワイン」(存在を耳にしたことはあるが、誰もその実物を見たことがないワイン)と呼ばれ、まさに「存在さえ幻」と言われていたワインでした。
しかし、2018年10月13日、アメリカの競売大手サザビーズ(Sotheby’s)がニューヨークで開催したオークションでその幻とされていたワインが現れます。
過去、オークションの世界では、この「幻の45年産ロマネコンティ」を巡ってフェイクワインがいくつも登場し、コレクターたちを泣かせてきました。
しかし、この高額の値がついたロマネコンティは、“由緒正しい出自”を誇る、正真正銘の本物でした。
1945年当時、ロマネコンティのディストリビューターだったネゴシアン(ワイン商)が、このワインを長らく保存していたのでした。
しかも、このネゴシアンの当主は戦後に無実の罪でドイツ軍に捕虜として捕まってしまい、牢屋から愛妻に送った手紙が今も残っているのですが、「I love you」というような自分の想いを伝えるような内容ではなく、ただただロマネコンティの保管についてを書きつづってあったのです。
このような申し分ない来歴で登場したということもあり、世界中のワインコレクターがその獲得に躍起となったのです。
このオークションでは2本のロマネコンティ1945年物が出品されたのですが、アメリカ人と中国人がそれぞれ1本ずつを落札し、近年ワインを高値落札をするのはもっぱら中国人だったのですが、アメリカ人もその威厳を見せたオークションとなりました。
750mlのワインをおよそグラス6杯分と考えると、1杯約1000万円という驚異的な額。
このロマネコンティ1945年物がここまで高額になった理由は主には以下の3点が挙げられます。
・1945年ヴィンテージが、20世紀最高の出来栄えだったこと。
・1945年のロマネ・コンティの生産本数が600本と極めて少なかったこと。
・1945年の前と後ではブドウの木が異なること(フィロキセラという害虫予防のための接ぎ木による)。
年間約5000〜6000本造られるロマネコンティですから、単純にこの年の生産本数は10分の1で、ただでさえ稀少価値もあるワインだったと言えます。
そのような中、更に驚くべき事由があります。
このロマネコンティ1945年物にはジェロボアム(3リットルボトル)があり、生産本数は2本(4本という説もある)と言われていて、この2本は、とあるフランスの大富豪がロマネ・コンティ社に頼み込み特別に作ってもらったもので、1本はその大富豪のご子息の結婚式で飲まれてしまったとのことで、ということは、このロマネ・コンティ1945ジェロボアムは、今は世界にたった1本だけしか存在していないことになります。
この世界に最後の1本のワインが、なんと楽天市場のワインショップで10億円で販売されていたのです!
今調べてみると金額は3億円、そして売り切れになっておりますので最早信憑性に欠けますが、このワインの存在が本当だとすれば、それを見つけた時はまさにたった一欠片のお宝ワンピースを見つけたことになるでしょう(笑)。
また、ロマネコンティを生産しているDRC社は、ロマネコンティを含め8つの特級畑を所有・賃貸し、高品質で高級なワインを造っておりますが、白ワインの「バタール・モンラッシェ」は非売品で、関係者にしか渡されない「幻の逸品」と言われており、その価値はロマネコンティ以上と言われております。
あいにく私はこのバタール・モンラッシェを見たことがありませんが、もしこのバタール・モンラッシェの1945年物、またはそれに引けを取らないワインが現れた時、このロマネコンティ1945年物の史上最高額は塗り替えられるのかもしれませんね。
ブルゴーニュの神「アンリ・ジャイエ」
ブルゴーニュには「神」と呼ばれる造り手がおりました。
1922年、ヴォーヌ・ロマネ村にてブドウ栽培を営むジャイエ家の三男として生まれた「Henri Jayer(アンリ・ジャイエ)」です。
アンリの造るワインの価格は、格付けの低いワインですら他のドメーヌの特級ワインを超えるほどです。
中でも高額なのは、1級畑クロパラントゥで造られる「ヴォーヌロマネ クロパラントゥ」、通称「クロパラ」です。
戦時中にはアーティチョークが植えられるなど、もともとはまったく注目されていない畑でしたが、このクロパラを一躍有名にしたのがアンリでした。
クロパラは、大きな岩の上に粘土石灰岩の層が広がり、その土壌の質は決してぶどう栽培に恵まれているとは言いがたい土地でしたが、アンリはその条件から最高の酸味を併せ持つワインを造り出せることに気づき、ぶどうの栽培と醸造を始めたのです。
特に1985年産は世界中のジャイエファンが切望するヴィンテージとなり、偽造ワインも多く出回りました。
2018年には、スイスのジュネーヴで行われたジャイエ家自らが出品する蔵出しオークションにて、来歴が保証されたこのクロパラ85年産6本入りが出品され、なんと3000万円以上で落札されました。
これによりアンリ・ジャイエのワイン1本あたりの最高落札額も更新されています。
また、アンリが手がけた最後のヴィンテージとなった2001年物も、良年でもあったことから更に付加価値もつき、世界中のジャイエファンが垂涎する逸品となっております。
2006年にこの世を去ったアンリですが、今でも彼の遺志を継承した若手の造り手がブルゴーニュワインを牽引しております。
その中の一人が、アンリ・ジャイエの甥にあたる「Emmanuel Rouget(エマニュエル・ルジェ)」です。
アンリ・ジャイエの後継者として、彼の手がけるワインも既に高い評価を受けておりますが、その中でもアンリから引き継いだクロパラの1999年が、とある理由により価値のあるワインとされております。
1999年はブルゴーニュにおいて良年でもありますが、奇しくもこの年にエマニュエル・ルジェが体調を崩してしまい、彼に代わってこの年だけワイン造りを手がけたのがアンリだと言われております。
世間の評価も上々で、最早一人前の造り手として立派に自立をしていたエマニュエル・ルジェでしたが、この1999年のクロパラントゥには今一度神の手が差しのべられたのです。
エマニュエル・ルジェのクロパラントゥ自体も既に入手困難で、他のヴィンテージでも30万円を超えてくる価値があります。
今はどこかに隠れてしまったこのエマニュエル・ルジェのクロパラントゥ1999年物。きっと再び幻のワインとして、より高額な価値を引き下げて我々の前に姿を現してくれることでしょう。
.たった一度だけ7つのドメーヌの共同により造られた幻のモンラッシェ
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高額なワインと言えば、どうしても赤ワインが目立っている気がします。
昔から「キリストの血」として王族に飲まれてきた赤ワインは、自ずと白ワインよりもその立場は上に見られているのでしょうか。
しかしながら、何も赤ワインだけがオークションなどに出品され高額な値がつくわけではありません。
時に白ワインもワインコレクターが唸るようなものが現れ、驚異的な値まで跳ね上がる時もあるのです。
その一つが、「L’EXCEPTIONNELLE VENDANGE DES 7 DOMAINES(レクセプシャネル・ヴァンダンジュ・デ・セッテ ドメーヌ)」(7つのドメーヌの特別な収穫)。
2016年、ブルゴーニュは霜害に見舞われブドウの収穫量が極端に減少し、一つのドメーヌではまともにワインを造ることができませんでした。
そこで、モンラッシェ・グランクリュの17の生産者の内、7つのグラン・クリュがブドウを持ち寄って共同生産でモンラッシェを造り、L’EXCEPTIONNELLE VENDANGE DES 7 DOMAINESは完成いたしました。
7つのドメーヌは以下の通りで、
↓↓↓
・Domaine de la Romanée-Conti(ドメーヌ・ド・ラ・ロマネコンティ)
・Domaine des Comtes Lafon(ドメーヌ・デ・コントラフォン)
・Domaine Leflaive(ドメーヌ・ルフレーヴ)
・Domaine Amiot Guy et fils(ドメーヌ・アミヨ・ギ・エ・フィス)
・Domaine Fleurot-Larose(ドメーヌ・ブルーロ・ラローズ)
・Domaine Lamy-Pillot(ドメーヌ・ラミィ・ピヨ)
・Claudine Petitjean(クラウディーヌ・プティジャン)
コントラフォンのDominique Lafon氏とDRCのAubert de Villaine氏の提案で、7つのプロットから収穫されたぶどうは、ルフレーヴのネゴシアンハウスがすべて同一金額で買い取り、ワインはルフレーヴで醸造され管理されました。
これらの大物ドメーヌが共同でワインを生産するのはワインの歴史が始まって以来のことで、蔵出し価格は1本5550ユーロ(約65万円)で販売されました。
ラベルにはMontrachetのアペラシオンに加え、7つのすべての生産者名が書かれ、ナンバリングもされました。
Domaine de la Romanée-Contiは最も多い337キロを収穫し、280本のワインを得て、それ以外の各ドメーヌの取得本数は以下の通り。
↓↓↓
1.Domaine de la Romanée-Conti(280本) 2.Comtes Lafon(139本)
3.Domaine Guy Amiot(71本)
4.Domaine Leflaive(57本)
5.Domaine Fleurot-Larose(46本) 6.Domaine Lamy-Pillot (45本) 7.Claudine Petijean(45本)
上記の通り、生産量はわずか683本。16本はチャリティー用に、そしておよそ100本は各ドメーヌの特別な機会に開けるテイスティング用、あるいはドメーヌのコレクションとして保存され、残りのワインもドメーヌの古くからの支援者や重要顧客など限られた人だけに、転売しないという条件付きで購入の権利が与えられました。
選ばれし者達によって造られ、選ばれし者達にしか分け与えられなかったこのモンラッシェは、転売はされないとは言え、その価値は最早5550ユーロを超えているかもしれませんね。
世紀のワイン偽造事件を暴くきっかけとなったワイン
史上最大と言われるワインの偽造事件を取り扱ったドキュメンタリー映画「すっぱいブドウ(原題:Sour Grapes)」でも登場する、この事件解決のきっかけにもなったワイナリー。それが「Domaine Ponsot(ドメーヌ・ポンソ)」。
現在も約600億円相当の偽造ワインが世界中に出回り見つかっていないと言われるこのワイン偽造事件を暴くきっかけとなったワインは、2008年4月25日にニューヨークのオークションに出品された、ドメーヌ・ポンソの1929産のクロドラロッシュ、そして1945〜71年産のクロサンドニでした。
クロドラロッシュのファーストヴィンテージは1934年、クロサンドニは1982年であったため、どちらも存在するはずのないヴィンテージで、このワインが偽造であることを指摘されました。
このワインの出品者は、ある種天才的な才覚で偽造ワインを造り続け、この事件を引き起こした張本人である中国系インドネシア人のルディ・クルニアワン。
この存在し得ないヴィンテージの出品は彼らしからぬ失態でしたが、告発をしたのは造り手のローラン・ポンソ氏本人でした。
オークション当日、ブルゴーニュからニューヨークに飛んだローラン氏はオークション開始10分後に会場に到着し、その場で出品の撤回を要求しました。
これがきっかけとなり、出品者であるルディに偽造ワイン製造の容疑がかかり、その後捜査は難航するも4年後の2012年に逮捕され、2014年に懲役10年、罰金2,000万ドル、弁済金2,840万ドルの判決が下されました。
トータル4,840万ドル。日本円で約51億円もの額です。
特級畑クロドラロッシュの最大の所有者であるドメーヌ・ポンソですが、このポンソのクロドラロッシュの人気上昇のきっかけは、奇しくもこの偽造ワイン発覚の2008年のクリスティーズのオークションで出品された1934年産クロドラロッシュ。
こちらは正真正銘のポンソのクロドラロッシュのファーストヴィンテージで、落札額は想像を大きく上回る1万8240ドルでした。
それ以降、ポンソのクロドラロッシュはオークションの目玉商品として人気を獲得していきます。
今やドメーヌ・ポンソと言えばワインの偽造対策に力を入れていることで有名で、温度センサー付きのラベルの使用、合成素材を使用した偽造不可能なコルクの採用など、偽造ワイン対策を徹底しております。
また、ワインを入れる箱の温度をアプリで管理し、15年間追跡できる「インテリジェントケース」の導入や、GPSによるボトルの追跡、箱が開けられたタイミングがわかる「コネクテッドケース」なども導入しております。
最高額の値がついたワインではないですが、史上最高額の偽造ワインを暴いたワインとして、このドメーヌ・ポンソをご紹介させていただきました。
「おまけ」バスケの神マイケル・ジョーダンが愛飲したワイン
私が愛してやまないバスケ会の神「Michael Jordan(マイケル・ジョーダン)」。
私自身が学生時代にバスケット部に所属していたということもありますが、現役時代の彼のプレーはリアルタイムで観ておりました。
彼が通年プレーをし続けたシカゴ・ブルズは、強豪ひしめくNBAで前人未到のThree-peat(スリーピート)と呼ばれる三連覇を二度成し遂げ、まさに神がかっていたジョーダンが愛飲していたワインがボルドーワインの「Ch.Lynch Bages(シャトー・ランシュ・バージュ)」。
ランシュバージュはメドック格付けとしては5級のワインですが、その品質は1級にも相当すると言われている優良ワイナリー。
ジョーダンは、このランシュバージュに訪問した際に、1959年物、1961年物、1982年物といった優良ヴィンテージを各々10ケースほど購入しシカゴに持って帰り、ブルズ優勝時にはこのワインでお祝いをしたそうです。
バスケファンでもある私としては、何年の時の優勝でこのランシュバージュが飲まれたのか?1997年の10月のプレシーズンに、既に二度目のスリーピートに王手がかかっていたシカゴ ブルズがパリで親善試合をしているので、もしその時にワイナリーを訪問していたとすれば、ランシュバージュで祝杯をあげたのはその後最後のスリーピート達成の1997-1998シーズンか?などと想像が膨らみます。
動画配信サービス「Netflix」で配信されている、彼のNBAでの軌道を振り返るドキュメンタリー「マイケル・ジョーダン ラストダンス」でも優勝シーンを観ることができますが、そこではF1のシャンパンスポンサーでもあるマム・コルドンでのシャンパンファイトしか観ることはできず、実際にランシュバージュが飲まれていることを確認することはできません。
この情報に間違いはないであろうけれども、ワインファンとバスケファンであれば、是非このシーンは生きているうちに観ておきたいものです。
少なくともリアルタイムで彼のプレーは観ることができた私は、バスケファンとしては最高に幸せな時代に生まれました。
ちなみに、私がジョーダンが出ているNBAファイナルで最も興奮した試合は、1998年カンファレンスファイナルのシカゴ ブルズ対インディアナ ペイサーズとの第4戦です。
結果も何も言いませんが、もしこの試合を観る機会があれば是非観ていただきたい。
知っている人はネタバレ禁止で。
というわけで今回はのテーマは、「世界一値段が高価なワインの生産地はどこ!?ロマネコンティのオークション最高額は?」でした。